Wellbeingを高め自らの人生を創造しハイヤーパーパスを体現できる人を育てる

プロフィール

いだ忠臣(Ida Tadaomi)

1979年宮城県仙台市生まれ

一般財団法人ワンネスグループ九州・沖縄地区代表
一般社団法人セレニティパークジャパン沖縄理事

を務める傍ら、学校、地方自治体、企業向けに年間100回以上の講演活動を行っている。

自身も依存症を経験して克服している。家族間のコミュニケーションストレスが原因となりタバコ、酒に手を出してしまう。

シンナー、マリファナ、覚醒剤と徐々にエスカレートしていき、一度は犯罪行為にも手を染めてしまう。

3年間の服役の後、ワンネスグループの前身である奈良ダルクにてプログラムを受講し、依存症を克服することに成功する。

その後、自らも苦しみ、自分自身や家族の運命も変えてしまった依存症を撲滅したいという気持ちからワンネスグループに参画し、現在依存症で困っている方々の支援、そしてこれから依存症にかかってしまう人を未然に防ぐための活動を開始。

現在は依存症と福祉業界に革新を起こすべくウェルビーイングとポジティブサイコロジーを深く学び、命の価値に気付いて世界を変える人材育成を行い、ひいては世界平和を現実のものとすべく日々命を燃焼している。

資格等

  • 公認心理師
  • 精神保健福祉士
  • CACJ治療共同体認定アディクションカウンセラー
  • 認定全米薬物&アルコールインタベンショニスト
  • CANAPS再発予防認定スペシャリスト
  • 米国ケリーファンデーション・リカバリーダイナミクスプログラム認定プロバイダー
  • IC&RC認定カウンセラー
  • NLPプラクティショナー


小学校〜中学校時代

学歴に偏重し過ぎていた父親からの愛情不足感を感じ、小学校時代にタバコ、酒に手を出してしまう。

中学受験の際にも、前日に風邪で大熱を出してしまうも、父親に強制的に病院に連れて行かれ、注射を打ちながら受験するも失敗し大きなショックを受ける。

結局中学は公立に進学し、学校には行かない、学校の近くの橋の下で酒盛りをする、学校の先生の車の窓ガラスを割るなどといった状況。
中学3年生の時、家出をして東京まで行き、16歳と偽って住み込みで新聞の営業の仕事を始めるも、親からの捜索願いにより所在が判明し、警察に見つかり、連れ戻される。

高校受験では陸上自衛隊高等工科高校、仙台電波高専、仙台育英(特進コース)などを受けるも不合格となり、父親の方針で公立校も進学校しか受験させてもらえないというプレッシャーの中、愛知県の豊田市にあるトヨタの私立高校(トヨタ工業学園)に合格したため、公立校は受験せずに豊田に行くことになる。

高校時代

ここで晴れて「家出」が実現し、学校での寮生活がスタートする。寮生活といっても甘いものではなく、起床、消灯、点呼、門限など、厳しい規律があり、部活動も必須。
学生間での上下関係も厳しく、上級生から気に入られない下級生は「敎育」を称した暴力が振るわれた時代だった。

高校1年生の秋、クラスメートの実家に遊びに行ったところ、その地元の先輩達がシンナー、マリファナを使用しているのを見て好奇心から試してみたところ、天井から自分を見ているような不思議な感覚を覚え、次第にはまっていった。

ある時、長期休暇で実家に帰る途中、名古屋駅でイラン人が偽造のテレホンカード格安で売っているのを知り、それを仕入れ寮内で学生に販売していたが、それが発覚し1週間の停学処分となり、寮での奉仕活動を課せられる。

学校の先生とも衝突することが増えていった。また学校の方針で何らかの部活に所属する必要があったため、仕方なくソフトボール部に所属。完全全寮制で月に1回、先輩から1年生に対する「ヤキ入れ」の儀式があり、なかなか緊張感がある一時だった。

高校2年生の冬、当時付き合っていた彼女の妊娠が発覚し、学校も面白くなかったのでこれを理由にして退学する。

退学の手続きには父親は来ず、母親だけが来てくれた。実家に戻るのだけは絶対に嫌だったので、母親に保証人になってもらい豊田市内でアパートを借りる。

ある日、バイクの窃盗事件で逮捕され、少年鑑別所へ送られ、1ヶ月半〜2ヶ月そこで過ごす。

その後仙台の実家に戻り、保護司さんのところに通いながら、大検のための予備校に通うも、シンナー、タバコ、お酒、バイク窃盗がやめられない日々が続く。

高校時代の彼女が仙台にまで会いに来て、再度妊娠した。なんとか実家から再度抜け出したいという気持ちも強く、彼女と子供を養って行くという決心をするも、両親はまず大学に入学し、卒業すべきだと猛反反対され、決別するつもりで愛知県に戻った。

17歳で再び愛知県に戻る。

戻った後、建築の親方のところに弟子入りして内装の仕事を開始。じき子供も産まれる。

当時の愛知県の知り合いが書店で働いており、そこにタトゥーの専門誌「BURST」が目に留まる。
その魅力にはまり、人生で初めての入れ墨をしてみる。

最初は腕にやってみた。痛みはそれほど感じなかった。

日本ではタトゥーはあまり良くないイメージだが、日本古来からの文化ということで興味を持ったのと、両親が良しとしない行動を取ることで自己肯定感を得ようとしていたのだと思う。

トヨタの私立高校時代の先輩が覚醒剤を使用しており、試しに使い始める。

実際に使ってみると、寝ないでも仕事をやり続けられたり、単純作業を延々と続けられるような効果を感じ、効果が切れると強い睡魔に襲われた。

自分が所属しているコミュニティーの中で、通常人が怖がるようなことをやることで、コミュニティーでの存在感を得られるという満足を満たしている部分もあった。

19歳の時、建築の仕事で独立。

子守をしながら建築業で独立をし、自ら営業して年収600万〜700万を稼いでいた。

その間、車の免許が取れるまで、無免許で運転していた。

21歳の時、覚醒剤をやめるかやめないかで彼女と揉めてしまい、離婚することになる。

22歳の時、覚醒剤の使用頻度が高まっていき、集中力、やる気、体力が失われていき、徐々に仕事が手につかなくなっていく。
金遣いも荒くなり、借金が増えていく。
そのうち、一攫千金を狙ってリスクのある投資に手を出してしまう。

同じマンションにイラン人の売人が住んでおり、覚醒剤の顧客を通じて某暴力団の組員と知り合いになる。
徐々に仲良くなっていき、取り込み詐欺をやっているグループと関わりを持つようになる。
(もし当時、覚醒剤をやっていなければ建築の仕事をずっと続けていたと思う。)

24歳の時、銀行や消費者金融からお金を引き出すため、度々「養子縁組」という手段を使って名前を変えていた。

そしてついに自らも犯罪の世界へ足を踏み入れてしまう。

25歳の時、中国人マフィアとの接点ができ、名古屋に住みながら東京まで出張し、カード詐欺に手を出してみる。
なかなか儲かりそうだったので、横浜に拠点を出し、本格的に活動を開始。大阪や地方にも進出していく。
どんどん大きなお金を手にするようになるも、自分が現場に出続けているとリスクになると感じていた。
そこでショッピング枠を現金化する会社を立ち上げ、合法的にお金が入る仕組みを作ろうとしていたが、この会社1本で成り立たせるまでは自身もカードを続けていた。

27歳の時、スキミング済みのクレジットカードを静岡駅のキヨスクで使ってみたところ使えなかった。
代わりのカードを受け取ろうとして駅周辺で待機していたところ、何か嫌な予感がし、タクシーで逃げようとしたところ、タクシーパトカー3台に取り囲まれ、逮捕されてしまう。この時、私服警官、制服警官を含めかなりの警官がいた。
押収された所持品から覚醒剤が出てきたため、別件で再逮捕される。

そのまま勾留・起訴され、留置所・拘置所に半年間滞在することとなる。

勾留中は不思議と覚醒剤を使いたいという欲求が出てこなかった。これはおそらく、絶対に使えない環境だということを体が認識していたからではないだろうか。
その根拠として、半年後に判決が下りる日が近づいてきた時に、また使いたいという欲求が生まれはじめていた。

半年後に懲役3年の有罪判決が下りる。
正直、初犯は執行猶予がつくと思っていたけれど、いきなり実刑判決だったのでさすがに3年は長いと思った。

住んでいたマンションには帰れないため、保証人になってもらっていた方に手紙を出し、マンションの解約や身の回り品+犬2頭の処分をお願いした。

それから刑務所で服役し、3年後に無事出所することができた。

さすがに覚醒剤は二度とやりたくないと思っていたが、刑務所時代にできた人脈を使って、より儲かるビジネスを手掛けたいと思っていた。

一方で、受刑中に駿河ダルクの職員と面談をしたことがあり、出所したら一度顔を出すという話をしていた。
出所直後は住むところも無いし、仕事も無いので保護会(出所した人を一定期間保護してもらうところ)に申請するも受け入れしてもらえなかった。

東京の保護会なら規模が大きいから大丈夫じゃないかという話を聞き、東京も駄目だった場合は東京のダルクを頼れば良いと考えたこともあり、出所当日に駿河ダルクに訪問した。

その時、当時奈良のダルクの施設長をしていた矢澤祐史がたまたま駿河ダルクを訪問しており、初めて矢澤と話をした。

東京に行ってまた犯罪絡みのビジネスをしたり、受刑中に刑務所で知って虜になっていた落語の道に進みたいといったことを矢澤に話していたところ、奈良のダルクに来ないかと誘われる。

刑務所の知り合いで出所したら一緒にビジネスをやろうと話をしていた仲間の出所が1年後だったこともあり、仲間を待つまでの間の1年間、何もすることが無いのも仕方がないと思い、1年限定なら大丈夫だと思い入所する。

この1年の間、プログラムを受ける過程で考えが変わっていき、自分の人生を狂わせてしまった依存症を撲滅したいと強く思うようになる。

結果的には合計2年半の施設滞在を経て、テレビ番組制作会社に勤め、3年間を過ごす。

その後、ワンネスグループが沖縄に拠点を出すことになり、矢澤から誘いがかかり、最初は断ろうとしたが、熱心に口説かれ承諾することになる。

2013年よりワンネスグループ九州・沖縄地区代表として、20名のスタッフと共に70名の入所者の方々のサポートを行いつつ、学校、地方自治体、企業を訪問しながら年間100回以上の講演活動を行っている。

 

2019年8月5日

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